子猫のヒトちゃんの場合 パートIII 3月24日。今日は、朝からブン太君もお母さんも何かソワソワしている。何だろうと思っていたら、今日はブン太君の小学校の卒業式だった。ブン太君は、紺のスーツに赤とグレーのストライプのネクタイを、キリリとしめていた。お母さんは、着付の佐藤先生にクリーム色の着物を着せてもらっていた。 不思議なんだけど、佐藤先生は着付の部屋に入る時、そこにだれもいないのに、必ずおじぎをする。銀髪のプリさんにこのことを話したら、「たぶん着付の神様でもいるんだろう。」といっていた。(年の功か、たまーにプリさんはすごいことをいう。)
小犬のエミちゃんは、すっかり足もよくなり、風を切って走れるようになった。そしてボーイフレンドとルンルン遊びに来てくれた。エミちゃんのボーイフレンドの名前は「サムライ」という名前で、みんなサムさんと呼んでいる。飼い主は、ピースボートという800人のりの船のキャストをしている渡辺さんだ。サムさんはきれいな黒い瞳、黒いヒゲ、黒い毛で、猫の僕らからみてもカッコいい。渡辺さんとサムさんは世界17ヶ国以上の国を回っているそうだ。
サムさんの趣味は旅とリサイクルだ。僕は初対面だったけど、ポルトガルの農場民宿で拾ったという、アルミ缶をもらった。(ツイてる!!)僕はけったり、投げたり、かじって遊んだ。時間を忘れるほど、楽しい。銀髪のプリさんはアルミ缶の上にのっかって、いつものようにマッタリしていた。小犬のエミちゃんは、アルミ缶をピカピカにみがいて鏡に向かっているように姿をうつして、しっぽをふっていた。 僕達は、サムさんから楽しい旅の話をたくさん聞けた。もう少ししたら、サムさんはまた旅に出ると言っていた。思わず、僕も連れていって欲しいと頼んだ。そしたら、「僕は猟犬だから、コンクリートばかり走っていると足の裏が弱ってしまうんだよ。だからデコボコした岩や、牧草地を走って、足の裏を厚くしておく必要があるんだ。大事なところは外側からは見えにくいんだよ。」と言っていた。
ブン太君とお母さんが、卒業式から帰ってきた。ブン太君は清々しい顔だったけど、お母さんは何だか涙目だった。それでもアッという間に着がえたら、又嵐のように出てった。 静かになった。 僕はお日様に向って、目をとじる。すると目の中にきれいな赤色のカラーがうかんできた。体もポカポカしてきた。(幸福だなー。豊かだなー。)何にでもなれそうな気がしてきた。鳥でも、草花でも、 旅人を休ませる、大きな木にでも・・・。
秋は季節の中で一番好きな季節です。でも、今年の秋は、ちょっと違っていました。学校から子供のケンカのことでTELがありました。子供にとって友達とケンカすることほど心を痛めるものはありません。うちの子は、日本とアフリカのガーナのハーフなので、時々こういう言葉の暴力を受けます。「ウンコ」と言われたのです。うちの子は、もう1回言ったらなぐるゾ!と言ってもやめなかったので、なぐったと言うんです。担任の先生は言葉の暴力をいましめながらも、手を出したという事の方を重く見ていたようです。とにもかくにも相手の家へ菓子折りを持って、謝りに行きました。相手の子の顔は、はれ上っていました。息子はあやまらないと言うので、その晩飯ヌキにしました。 何気にマルカンの方にこの話をしたら、マルカンの徳永さんから24金の「金持ち札」が息子に送られてきました。このお札というのは一人さんが納税日本一になった記念に作られたものです。(シールもあるんです)持っている人ばかりか、見せられた人にも、いい波動をもらえるという優れものです。息子は黙ってサイフの中へ入れて、シートの所をずっと指でなぞっていました。(徳永さん、どうもありがとうございます!)それからしばらくして、担任の先生とお会いしました。先生は「あの後、校長先生に報告したら、校長先生は絶対息子さんの味方をする!と言ってましたよ。」と、小声でしかもうれしそうに教えてくれました。私もうれしくなりました。 その晩、子供に手紙を書きました。「お父さんとお母さんは神様にお願いして、オーダーメイドで君をつくってもらったんだよ!」と、ちょっとカッコつけて書きました。息子は何故かトイレへ行って読んでました。「オレをオーダーメイドしないでくれエ!」なんてかわいくないこと言ってました。でも、次の日テレビを見てて急に「一人さんは争いごとはしないんだよネー。」とつぶやいたんです。びっくりしました。"いい波動が広がっていく"、そんな気がする秋になりました。
びっくりした。ただもうびっくりした。柴村恵美子社長の本「斎藤一人の不思議な魅力論」の出版記念パーティに出席できたことだ。入り口のところでは長ーい列。恵美子社長がニコニコしながらも、一心不乱にサインをして下さいました。そして会場に入ると向こうの方で人だかり。やはりそこには斎藤一人さん。(ステキなハカマ姿でした) みんな、まるでミッキーと写真をとるみたいにはしゃいで順番待ちをしていた。かく言う私も息子と写真をとってもらい、握手をしてもらった。(右手は洗わないぞー!なーんて) パーティは、本を記念して贈られた津軽三味線の素晴らしい音色から始まりました。そして関係者の方にスピーチ、カンパイ。沖縄民謡の歌と太鼓、お弟子さん達のお祝いスピーチ。(まるかん式の乾杯は、ぶっとんだ)それから、大好きな恵美子社長のトークと歌、古川ゆきのちゃんの歌。(お2人ともあんまりうまいんで圧倒されちゃいました) トークの中で、亡くなられたご両親のこと、一人さんのこと、夢だった観音様を故郷の北海道上士幌町に建てられたこと、(私も一度ぜひ見に行きたいです)9人の共創する仲間、マルカンの社員、特約店の方に感謝の言葉を述べられました。 最後は斎藤一人さんのスピーチです。一人さんも感慨深げに、「恵美子さんと出逢ってもう30年にもなるんだナ〜。思えば、私はこの人のペースにひきずられてきたんではないだろ〜うか?!」とお茶目に語りはじめました。ゆっくりゆっくり語られる一人さんの話をみんなシーンと聞き入ってました。「津軽三味線の曲とこの本は神様からのプレゼントだと思ったら夜眠れなくなってしまった。自分もなんかしなくちゃと思った。」っていっていました。それから、なぜ、小冊子『愛は楽しい』を作ったか、なぜ今の時代こんなに心が病んでいる人が多いのか、血に元気が無いこと、元気になる為に「うれし泣き」を作ったこと。一人さんは「この小冊子、オレも配るヨ。旅先でも散歩しても。今頃、大社長、ポスティングしているんだナと思って下さい」と言ってました。 帰りの車の中で、私も息子も体温が2、3度上がったみたいに、ポカポカしてきました。一人さんて、まるでお日様の光をいっぱいいっぱい吸い込んだおふとんのような人だなーと思いました。 現在は斉藤一人さんの写真、写メールの撮影はできませんので、 ご迷惑にならないよう、ご遠慮くださいますようお願いいたします。
チラシのポスティングを息子(小6)や、息子の友達にやってもらっていたんですが、とうとう自分でも意を決っしてやってみることにしました。(今までは、知っている人に会ったら恥ずかしいナ〜とかカッコ悪いな〜と心のどこかで思っていたんです。) やっていくうちに、とある一軒の家から、ガゼンやる気が出てきました。その家はどういううちかというと、ドアの郵便受けのところに「郵便屋さん、いつもごくろう様。ありがとう」ってマジックで書いてあったんです。なんだかうれしくなりました。郵便屋さんでもないのに、こちらこそ、ありがとうっていいたくなりました。(雨の日も風の日も郵便配達の人はえらいよナ〜!! 新聞配達の人だってそうだよネ〜!!)さっそくうちのポスト、店のポストに「郵便屋さん、新聞屋さん配達いつも、ごくろう様。ありがとう。」って書きました。 それから、知り合いの新聞屋さんに「ポストに『配達ごくろう様』って書いてるところってどう思う?」と聞いたら、「ウン、ホントたま〜にそういう家あるよ。そうネ、そういういう家の人はみんな、遅れても、忘れても文句いわないんだよ。それにサ、『うちのは一番最後でいいから、気をつけて来てネ』って云ってくれるんだよ。だから、そこんちだけは、何が何でも届けようって気になるんだよ…」って言ってました。 心があったかくなりました。人間っていいナって思いました。 その日から、私の中で何かが変りました。さっそくポスティングしたチラシを持って来店して下さったお客様、そしていつものお客様、お電話下さったお客様、出会う人、すれ違う人、みんな、何故か、私には、ダイヤモンドに見えてきたんです。(もうー!ビックリしました。)斎藤一人さんの本に書いてある、小石をひろうとダイヤモンドに変わるという話みたいだと思いました。 いつも「ポスティングっていいですヨ〜!!」とすすめて下さったマルカンの古川(ゆきのじょう)さん、親睦会でお会いした原田薬局さん、新宿サロンさん、ロータス2さん、高校生の福田くん、他みなさんの豊かな波動のおかげで壁をつきぬけたような気がします。ありがとうございます。本当に今まで私はバカでした。まだまだバカですけど…。